●ヨーコの魂
1971年1月13日。この日の朝、ヨーコは夫のジョンと共に船で日本にやって来た。彼らの大きな目的は2人そろって初めてヨーコの母に会うことと、ヨーコが生まれたという家を見ることだったという。
プライヴェイトな旅とはいいながら、ジャーナリズムに追いかけられて、靖国神社の境内で写真に撮られた2人の表情には、感動的なほどに落ちついた静かさと明るさが感じられて、ほくは驚かされてしまった。
来日の1ヶ月ほど前に、アメリカでは2人のニューアルバムが各々発表されており、その直後には《ROLLING STONE》紙に彼らのインタピュー特集記事が掲載されたばかりである。しかもジョンがこれまでにない真情を吐露したその記事は、そのままスキャンダラスな話題をまき起しながら、ついにポール・マッカートニーのグループ解散訴訟事件へ続いていったのである。
日本でもこのニュースは1月1日の朝刊で報道されたのだが、レノン夫妻のこの突然の来日はそのタイミングといい、あまりにもジャーナリズムを刺激するには充分すぎたのである。
アイドルはいたずらに神格化されがちなものである。ピートルズというひとつの神話がいままさに音をたてて崩れ落ちようとしているちょうどその時に、ほくはインタピューに答えるジョンの言葉の端々から、自らの神話を破壊しつつあるひとりの詩人の声を聞く思いがした。
現代の神話のヒーローたちの宿命がスキャンダリズムであると決めつけてしまっては、それは酷に過ぎるかも知れない。だが、ジョンと結ばれたヨーコに向けられたジャーナリズムの視線は、それを如実に証明していたはずである、ほくたちは日本が生み出した優れた女流前衛芸術家の本当の姿を、なぜ正しく眺めて見ようとはしなかったのだろうか。「キリストよりも有名」だと言った世界のトップ・グループのリーダーの身も心も奪ってしまった日本の女、という見方をそろそろ忘れてしまわなくてはいけない。
ジャーナリズムばかりではなく、かつてはピートルズの他のメンバーたちでさえ同様の誤ちを犯していたことを、ジョン自身が暴露している。
ジョン&ヨーコがカナダへ渡って敢行した有名な〈ベッド・イン〉を思い出すまでもないが、彼らの反体制的な姿勢や、あるいはまた身近な社会から疎外されていた様子を思い浮かべるとき、ぼくはなぜか2人の姿があのポニー&クライドとダブル・イメージになって重なり合っていくような錯覚に陥りそうになるのである。だが、メンバーの心が離ればなれになっていく悲しみを淡々と語り、ヨーコへの愛と信頼を披露するジョンと、その彼に寄り添うようにしている静かで理智的な美を感じさせるヨーコを眺めて、ぼくは神話や伝説がどんなにナンセンスなものかを感じはじめていた。
ぼくが初めてヨーコ・オノという存在を知ったのは、前衛芸術家としての彼女であって、それはジョンと結婚する前のことである。アンダーグラウンド・シネマの作家としてヨーコの名はそのスキャンダラスな作品「お尻」と共に、日本でも騒ぎたてられたことがある。
かつては作曲家の一柳慧夫人だったというその彼女が、映画以外の分野でも詩人としてあるいは音楽家として、さらにはハプニストとして活躍するマルチ・アーティストであると知ったのは、彼女がジョンと結婚してジャーナリスティックな脚光を浴びはじめたからだというのはあたっているかも知れない。
実はそれほど彼女の作品に触れる機会が、日本では残念ながら多くはなかったのである。ジョン&ヨーコを特集した雑誌「ぶっく・れびゅう」に載せられたナム・ジュム・パイクによるヨーコ論の中で、1962年か63年ごろ、カーネギー・ホールでヨーコが「破天荒な前衛作品発表会」を催したことが紹介されている。
それは、観客を暗間の中に座らしたまま、自分の姿は見せず、ホールの外でゲタをならして、余韻だけを聞かせるというものだったそうである。
ヨーコにはまた、前衛的な作曲や詩作をチャーミングな一冊の本にまとめた《GRAPE-FRUIT》という作品集もあり、これは彼女が1963年から65年の日本滞在期間中に発表したものだという。
ジョンと結婚してからは音楽が主な活動の世界となり、ピートルズとは別にジョン&ヨーコを中心とするプラスティック・オノ・バンドを結成して、次々に作品を発表し続けていることはよく知られているとおりである。

●ヨーコの芸術
ヨーコの最新作ともいうべきこのアルバムは、アメリカでは同時に発表された、まったく良く似たデザインのジャケットに包まれた『ジョンの魂』と並んで、どちらもジョン&ヨーコのプロデュースによる一卵性双生児の作品である。
この『ヨーコの芸術』と『ジョンの魂』は共にプラスティック・オノ・パンドの演奏によるもので、今回のメンバーはジョン・レノン、ヨーコ・オノ、リンゴ・スター、そしてクラウス・ブーアマンの4人である。またこのグループとしては『ライブ・ピース・イン・トロント』につづくアルバムということになる。
日本を去る直前に、アップル・レコードの日本発売元である東芝レコードの水原ディレクターのインタビューに2人が応じた折のテープを聞かせてもらったところ、ヨーコは次のように語っている一こんどのアルバムは初めは1枚のつもりだったけれども、3枚組のものになりそうなほど材料がたくさんあったので、1枚ずつ別々のものを作ったのです。
この結果、自分の気持を率直に第1人称の詩に書き単純なロックに歌いあげたジョンの傑作アルバムと、ヨーコの訴え、あるいは悲しみの気持を激しい叫び声で表現した彼女のこの素晴しい、感動的なアルバムが生まれたわけである。
彼女の芸術についてジョンはこう語っている一いまの時代よりも20年先を進んでいる前衛的な、素晴しいものである。
前衛作品のなかには、難解で、独善的なものを連想させられ、辞易させられてしまうものもある。だがこのヨーコの作品では彼女の一連の作品に現われる、あのユニークだが理解困難と思われていたイメージのうえに人間の真の魂と、かつてない説得力の強さが見られる。
これについて彼女自身がインタビューでこう説明している一たとえば溺れそうなときに、とっさに叫び声をあげるように、究極の感情を現わすときに言葉は出てこない。私は極限状態を表現するために、言葉を使わない音楽を追求したいのです。
アルバムの1曲目と2曲目におさめられた〈WHY〉と〈WHY NOT〉で、彼女のそのヴォーカルがさっそく流れてくる。2曲ともWHYという単語がまるで万華鏡のまん中に放り込まれて、次から次へめまぐるしくその響きを変えながらまるで絶叫のようにヨーコのロから発射されてくるようである。WHY、WHY NOTという2つの言葉は何かに向けられたプロテストのようにとれるかも知れない。
ジョンのギターは、テクニックを論ずるよりも先に、そのサウンドにこめられた感情の激しさ、豊かさにまず驚かされてしまうはずである。
琵琶のような音色がイントロダクションに関こえる〈GREENFIELD MORNING I PUSHED AN EMPTY BABY CARRIAGE ALL OVER THE CITY〉は、空っぽの乳母車に架空の赤ちゃんを乗せて街中を押して歩く、子供を失なった母親の嘆きを彷彿とさせる作品である。ぼくは歌右衛門が踊った『隅田川』を思い出す。亡き我が子を慕う狂女の嘆き悲しむ声はそのままヨーコに重なり合っていく。
謡曲の『隅田川』をここに持ち出すことは唐突かも知れないが、エンディングに聞こえてくる鳥の鳴き声がより一層、ぼくに日本の古典を思い出させる。
ヨーコ自身、このアルバムには自分でも改めて驚くほどに日本の古典と、ロックとそしてアバンギャルドの影響が見られると語っているのである。
彼女のアパンギャルドな面が、ストレートに発揮されたのが〈AOS〉であり、この作品だけが、オーネット・コールマン・グループとの共演である。録音は1968年2月、イギリスのロイヤル・アルパート・ホールでのコンサートにおけるリハーサルをテープにとったものであり、最近発売されたコールマンの未発表録音同様に、このヨーコの作品もこのアルバムで初めてレコード化されたものである。
これについてジョンは一コールマンと彼女が共演した古いテープは、ジョン・ケージとも演奏したことのあるヨーコの才能を示すために収録した、と語っている。トランペットはコールマン、ペースがチャーリー・ヘイドンとデビッド・アイゼンソンの2人、ドラムスがエドワード・プラックウェルというジャズ・ファンにはおなじみのコールマン・グループである。Not yetというヨーコの声のせいもあって、妙にエロティックな感じがぼくにはするが………。
言葉を使わない音楽の迫求は、〈TOUCH ME〉や〈PAPER SHOES〉でも一貫して試みられている。ジョンと共に、単純な音楽の美しさにアプローチするヨーコの芸術は、たえとばシュールな情景を思わせる最後の作品の終りの部分で不意に、彼女がこれまでのアルバムでも囁きつづけてきた言葉Don't worryが聞こえてくるのだから、そのスタイルのようには単純なものではない。
(解説 今野雄二 YUJI KONNO)